創作:僕のつぶれた幼稚園の話

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『タオルのにおい』

重機の音が、遠くの空気を震わせていた。
フェンスの向こうで、僕が通っていた幼稚園が削られていく。
黄色い壁、赤いすべり台、ひび割れたアスファルト。
全部、あの頃の僕の世界のすべてだったのに。

「うわぁ…マジかよ……」

スマホを持つ手が震えた。
記録に残しておこうと思っていたのに、カメラを向けた瞬間、涙で画面がぼやけた。
こんなに胸が痛くなるなんて、思ってなかった。

思い出したのは、昼寝の時間。
どうしても眠れなくて、こっそり持ち込んだお気に入りのタオルのにおいを嗅いでた。
柔軟剤と日なたの匂いが混ざった、あの安心する感じ。
あれがないと眠れなかった。
先生に「タオルくん」なんて呼ばれて、みんなに笑われても、全然気にしてなかった。

夏祭りの日は、園庭がまるで夢の国だった。
かき氷の青いシロップで舌を真っ青にして、スイカ割りで思いっきり空振りして。
友達と走り回って、浴衣の裾を踏んで転んだことまで、ちゃんと覚えてる。
あのときは、「また来年もある」って、当たり前のように思ってたんだ。

うがい薬が苦手だったな。
喉の奥がピリピリして、涙目になって、先生に心配された。
あと、牛乳。
「体にいいから飲んでみようね」って言われて、勇気出して一口飲んで――即ギブアップ。
あの味、未だにトラウマ。

今、そこにあるのは瓦礫の山。
でも、僕の中ではまだ園舎のチャイムが鳴っている。
「お昼寝の時間ですよー」って先生の声が聞こえる。
あの日の風が、ふっと頬を撫でた気がした。

「……ありがとう。」

小さくつぶやく。
涙が落ちて、フェンスの鉄に滲んだ。
もう戻れないけど、あの頃の僕は確かにここにいた。
タオルの匂いも、夏のざわめきも、心の奥で今も息をしている。

『夜風と金魚』

夏の夕方、空がゆっくりと茜色に変わるころ。
園庭に吊るされた提灯が、ぼんやりと灯りはじめた。
風鈴の音、焼きそばの香ばしい匂い、遠くで鳴くヒグラシ。
あの空気の全部が、まるごと胸の中に残っている。

浴衣のすそを何度も踏んで、転びかけた僕の手を、隣の友だちが引っ張ってくれた。
手のひらが少し汗ばんでて、それがなんだか恥ずかしくて、でも嬉しかった。
その友だちの名前、もう思い出せない。
けど、笑い声だけは今でも耳の奥にこびりついてる。

金魚すくいの屋台で、紙がすぐ破れて泣きそうになった僕に、
先生が「ほら、もう一回やってみようか」って新しいポイをくれた。
小さな水面のきらめきと、金魚の尾びれが光の中でゆらゆらしていた。
その瞬間だけは、世界がやさしかった。

夜が深くなると、園庭の真ん中で小さな盆踊りがはじまった。
輪の中に入る勇気はなくて、遠くから見てた僕に、先生が手を振ってくれた。
「おいで」って。
その笑顔が、今思えば、世界でいちばん安心できる場所だった。

あれから何年経ったんだろう。
あの園舎はもうなくなって、風だけが通り抜けていく。
だけど、目を閉じれば提灯の光がまだ浮かんで見える。
金魚の水音、太鼓のリズム、先生の笑い声。
すべてが静かな夜風の中で、やさしく息をしている。

フェンス越しに立っていると、ふと風が頬をなでた。
その香りが、あの夏の夜と同じ気がして、思わず涙が出た。
泣くつもりなんてなかったのに。

「…また、会えるかな。」

誰に言ったのか、自分でもわからない。
でも、声にした瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった。

提灯の光も、金魚の尾びれも、
きっとどこかで今も、僕の記憶の中を泳いでいる。